私の病歴:プロトピック治療記序章

私がアトピーに本当に苦しめられるようになってから18年ほどになりました。

幼児期の頃からひじや膝の裏によく湿疹が出来てはいました。特に、汗をかくとその部分がひどい湿疹になり、引っ掻くのでよく出血をしていました。病院にもたまに通っていましたが、今のように全身に出て、眉毛が薄くなったりするほどはひどくはありませんでした。また、時々ジンマシンがひどくなる事もありましたが、子供の頃はかゆみ止め程度の物をつけておけばジンマシンそのものは一晩で治りました。たまに通う皮膚科で、ひどいアトピーの症状の写真を見たりしていましたが、まさかじぶんがそんな目に遭うとはその頃には思っていませんでした。

しかし、高校1年生の秋ごろ、お腹の辺り一面に出来たジンマシンが治らなかったため、通院。ステロイドの錠剤を飲んでいったんは収ったのですが、半月ぐらいしてから再び発疹がでたためもう一度通院したら、アトピー性皮膚炎と診断されました。後で考えると、これはステロイド剤によるリバウンドだったと考えられます。

通院時の治療は中程度のステロイド軟膏と錠剤および抗ヒスタミン剤の注射でした。結構強めのステロイド軟膏を出していただいていたと思うのですが、いっこうに収る気配がありませんでした。むしろ、赤い部分はどんどん広がって行く様になりました。それから半年ほどたった頃に発汗疹が手に出始め、全身が腫れるような炎症が多くなりました。結局、中程度の重症という事で入院が必要といわれ入院をすることになりました。

入院中にはごく弱い薬でも治療できるようにするまで症状を軽くする事が目標にとなりました。漢方薬とかゆみ止めの点滴それにごく弱いステロイドの軟膏を全身、とにかく赤いところ全体に塗っていました。初めのうちはなかなか治らりませんでしたが、かゆくなったら氷枕で冷やすという事をし始めたら良くなり始め、2週間で退院出来ました。

退院後もしばらく漢方薬と弱ステロイドの軟膏を使う治療を続けましたが、漢方薬を飲んでいれば安定していました。しかし、大学入学時の転居とともに治療をやめてしまいました。その理由は新しい病院に通いたくても、同じ漢方の治療を続けさせてくれるか疑問があったからです。また結局ステロイド中心の治療になり、リバウンドを繰り返したり、だんだん薬が効かなくなるほど重傷になるのではと思い、通院を思いとどまらせました。

薬を止めて半年ぐらいすると、やはり症状は再発し、また苦しむことになりました。特に冬におでこやお腹からせなかにかけてがひどくがさがさになり、眉毛が落ち、髪の毛もばんばん抜けていきます。ひどい時ははたから見た目もかなりひどい状態だったと思います。かゆみもとまらなくり、何にも手につかない、ということもしばしばでした。それでも、病院に行って積極的にステロイドによる治療を受ける気にはなれませんでした。

また、薬を飲んでいなくても一年半から2年周期で全く症状が現れない時期がありました。そういうことがあったので、生活習慣などを見直すことでアトピーを克服できるのではと考えた時期がありました。規則的な生活習慣、出来るだけバランスのとれた食事などを心がけました。そうやって、大学院の2年間は結構症状は落ちついていました。

しかし、大学院を卒業して就職してから半年後、徐々に症状が悪化していきました。今回も何とかすれば、うまく落ち着かす事が出来るのでないかかと考えていましたが、 大学にいた頃は自分の卒業自体に責任を持っていれば良く、後は、休んだりする事が出来ましたが、さすがに会社に入ってからはそうはいきませんそれでも、さらに半年は病院に行かないで何とか自分で乗り切ろうと考えました。薬局で非ステロイド系の湿疹治療薬(資生堂のアトスキンAD) が売られており、かゆみがひどいときにはそれを塗って一時的にかゆみをしのいだりもしましたが、かゆみがひどくて仕事中にも集中出来なくなり、仕事にも差し支えるようになって自力で治す事をあきらめました。

会社の産業医に相談し、出来るだけ信頼出来る医者を紹介して欲しいと頼み、スキンケアを治療の中心にして、実績をあげている先生を紹介してもらいました。そしてそこで、プロトピックを知り、それを用いた治療を受けることになったのでした。

「プロトピック治療記1」へ続く